公僕オタクの仁義なき戦い(仮)

オタクは今日も戦う

限界集落で働くオタクの備忘録 その②

 

 

 

 

どうも。

 


オタク公務員のあじのしまとです。

 

 

 

 


最近はSNSで繋がっている同界隈の皆様と話を共有し合い、

公僕おもろエピソードまとめ本を出版したらいいのにとか

思っちゃってます。

 


思ってるだけで多分行動しません。

あくまで他力本願です。

 

 

 

 


さて、

今回は前回に引き続き入庁してからこれまでの私について

書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 


障害の部署に配属された私。

 


そもそもなぜ障害が嫌だと思ったか。

 

 

 

ケースワーカーとして配置されたからである。

 

 

 

完全に事務職であるならば、まあ、良かったよ。

 

 

 

入庁当時の今より遥かに無知な私は

"ケースワーカー"と聞くと生活保護しか思い浮かばず

ゴミ屋敷とか行かないといけないのかと思い

めちゃくちゃ嫌だと思ったのである。

 

 

 

結果ゴミ屋敷に行くことはなかったが。

 

 

 

配属されていきなり先輩職員に着いてお宅訪問をしたり

意味のわからない専門用語が飛び交う会議に出席したり

 


そもそも何も分からないのにいきなり

「貴方の担当はここからここまでね」と言われ

 

 

 

本当に意味がわからないし

この人たちは人材育てるつもりがあるのか??

と思った。

 

 

 

 


知識は経験してこそ、と思ったので

他の職員に聞いて自分なりに必死に勉強した。

 

 

 

 

 

 

基本的に根は優しい人達だったのでなんとかいけるか

 


と思った矢先

 

 

 

 

 

 

「コイツだけはマジで無理」

 

 

 

と思った人がいたのである。

 

 

 

 


そう、

 

 

 

おつぼねたゃである。

 

 

 

 


めちゃくちゃ悪口だが

第一印象から御局様みたいな顔してたもん。

 

 

 

実際もそうだった。

 

 

 

おそらく若い女ってだけで目の敵にされていたのであろう。

 

 

 

 

 

 

入庁して3ヶ月も経っていない私が会議で案件を出す度に、

「こんな資料でわかるわけないじゃん?」

等といちいち釘を刺され

そのくせ助けようともしなかった。

 

 

 

窓口の番人なので、

すぐに

 


「しまとさん窓口出てよ」

 

 

 

と言ってくる。

 

 

 

 


いやこれほんまにパワハラやんけ。

 

 

 

 


同時に

自分にはケースワーカーとしての適性がないことがわかり

仕事をするのがしんどくなってきた。

 

 

 

おつぼねたゃだけでなく

上司も教育係も誰も助けてくれることなく

心をすり減らしていた。

 

 

 

 


ある日

担当していたケースの希望に添えなかったため

私はこう言われた

 


「議員に報告しますからね。」

 

 

 

 


今でこそ

「あっそ、どうぞご自由に(ハナホジー)」

で自分の中で終わらせることができるが、

 

 

 

当時の私はこの言葉が

「お前を訴えてやるからな」

という言葉に聞こえた。

 

 

 

更に同時期に

とあるケースからサービスの申請を受けたが

結局対象ではないことがわかり却下になった。

 


却下になったことについて納得がいかなかった相手から

めちゃくちゃに言われた。

 


誰も助けてくれなかった。

 

 

 

 


もう無理だ。

 


と思ったら

 

 

 

職場でぶっ倒れて救急搬送www

 

 

 

医療費高かったなあ(泣)

 

 

 

 


それを機に私は上司と相談し、

ものの半年でケースワーカー業務と窓口業務から離れることになった。

 

 

 

 


正直安心した。

 

 

 

合わない仕事を続けるのは心底ストレスだし

本当に毎日仕事に行くくらいなら死にたいと思っていた。

 

 

 

自分が担当していたケースは

他の職員が受け持つことになった。

 

 

 

「迷惑かけて申し訳ございません。」

というと

皆さんは納得してくれたし誰も私を責めなかった。

 

 

 

あのババアを除いて。

 

 

 

 


全体で私がケースワーカーができなかったときには

全く何も言わなかった。

 


正直不満だろうなとは思っていたが

 

 

 

 


ある日おつぼねたゃは電話で

 


「私ケースワーカーができなくなった人の分まで仕事しなくちゃいけなくなったから忙しいの」

 


と利用者に言っていた。

 

 

 

そこまで言われなあかんのかと。

 

 

 

自分の存在意義ってそんなにないの?

 

 

 

周りの職員も影では

「あれはないよね」とは言うが

本人に直接言うことはなかった。

 


上司だって注意なんてするわけなかった。

 

 

 

 

 

 

本当に無理だと思った私は仕事を休みがちになったし

 


結局のところ

"適応障害"になって心療内科のお世話になることになった。

 

 

 

 


当時は親に相談することすらできなかったし

仲良くしていた同期からは

「残業せずに帰れてるだけ良いじゃん」

と相手にされなかった。

 

 

 

ほんとにつらかった。

 

 

 

でもこのまま仕事を辞めるわけにはいかないし、

実家に帰りたいわけでもなかったので

無理やり復帰した。

 

 

 

 


結局のところ異動することはなく、

当時事務仕事を全部やっていた会計年度職員が退職するため

その穴を埋める形で私は事務要員として残ることになった。

 

 

 

 


当時は自分の存在意義を証明したくて

異動せずに残ることにこだわっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今思えば

 

 

 

異動しておけばよかった。

 

 

 

 

 

 

 


この後私は知ることになったのである

 

 

 

職場がいかに劣悪な環境かということを

 

 

 

限界集落の真の恐ろしさを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、

そんな感じで公務員1年目が終わりました。

 

 

今思えば無茶苦茶だなあと思うことばかりですし

私が拗らせ人間になるのも無理ないなあと思います。

(すぐ他人のせいにする)

 

 

 

めちゃくちゃシリアスに書いてますが

今はめちゃくちゃ元気なので笑ってください(無理)

 

 

 

 

 

 

今回はここまで〜〜〜

 

 

 

次回に続く(かもしれない)

 

 

 

限界集落で働くオタクの備忘録 その①

どうも。

オタク公務員のあじのしまとです。

 

 

 

 


今回は地方公務員として入庁してから

どのように過ごしてきたかについて語ります。

 


ほとんど愚痴になる予感しかしていない。

 


時系列も適当。

 


共感してくれる同志がいればうれしいなあ・・・・・・

 

 

 

 

 

 

20xx年4月 入庁。

 


地方から出てきたため大都会東京に、

新しい出会いに(主にイケメンとか美女とか)、

今まで感じたことのない刺激に出会えることへの期待で胸をいっぱいにさせていた。

 


はずだった。

 

 

 

 


配属先を人事課長から「障害福祉」と言われ絶望する。

 


全く希望もしていなければむしろ行きたくないと思っていたほどのところに配属されて本当に絶望しかないと感じていた。

 

 

 

 


いやいやでも若い職員はたくさんいるでしょうよ。

イケメンとか美女いるでしょうよ東京なんだから。

 

 

 

そんなことを思っていたのも束の間。

 

 

 

配属先の係長が迎えに来た。

定年まであと数年という係長。

嫌な予感がした。

 


それとなく世間話をしながら部署へ向かった。

 

 

 

着いた先は、

 


平均年齢50代中盤、

 


若い職員は私ただ一人の限界集落だった。

 

 

 

 


こんなハーレムは嫌だ。

大喜利か???

 

 

 

 


天下の人事様は私のことが嫌いなのか?

田舎から出てきたしょうもない関西人を村八分にしたくてこんなところに配属したのか?

 


そんなことを思いながら帰宅し泣いた。

 

 

 

新人には教育係がつき、

同期の教育係はだいたいが年齢の近い若い職員がついていたが、

もちろん限界集落にはそんな人材はいない。

中年のおばさんが教育係になった。

 

 

 

仕事のことを聞いても他の人に聞いてと言われ大して教えてもくれないのに、自席でリップを塗っていたら「化粧しているように見えるからやめろ」とつまらない注意しかしてこなかった。

 

 

 

昼休みなのに?なんで?

 

 

 

私は理解できなかったのでやめなかった。

 

 

 

それはそれでやる度に注意してくるので教育係が自席にいないときを狙ってリップを塗っていた。

 

 

 

 


ネイルや服装に対する注意がとにかくうるさかった。

 


他の係ではOKで私がダメな理由とは?

 


最初のころは言うことを聞いていたが、

基本的に自分が尊敬できる人間の言うことしか興味ないので

次第に無視していた。

 

 

 

後に説明するが、教育係のくせに私がメンタルを病んで適応障害になったときも何もフォローしてくれなかったババアの言うことなんて誰が聞くかクソがッッッ!!!!!!

 

 

 

新人の一年が終わったら教育係は異動でさようならだった。

ラッキー!

 

 

 

 


ここまで読んでわかると思うが、

私は精神年齢が中学生で止まったまま大人になってしまった

悲しいモンスターなのである。

 


自分でモンスターって言うのなかなか寒いな。

 


厄介職員程度に思ってください。

 

 

 

 


しかしこの限界集落で一番厄介だったのがおつぼねたゃである。

 


こんな令和の時代にお局様なんて存在するわけないでしょ(笑)

 


と思っていた私。

 


とんでもないババアがこの限界集落にいた。

 

 

 

 


必ず、かの邪智暴虐のババアを除かなければならぬと決意した。

 

 

 

その②に続く!(かどうかはわからない)